映画 「グリーンブック」 考察 笑いと涙で観るものを幸せに包む、驚きと感動の実話

ジャンルを問わず一年中、映画漬けの生活を送っている、自称ゆるーい映画オタク⁉の私が

独断と偏見でオススメする今日の一本は、実話を元にしたヒューマン映画「グリーンブック」です。

 

引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

 

 

 

作品紹介

 

2018年に公開された、アメリカ合衆国の伝記作品です。

 

アフリカはジャマイカ系アメリカ人のクラシック系ピアニストであるドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーと、彼の運転手兼ボディーガードを務めたイタリア系アメリカ人のフランク・アンソニー・ヴァレロンガによって、1962年に実際に行われた、あえて人種差別の激しいアメリカ最南部を回るコンサートツアーを叙述(じょじゅつ)した作品。

 

当初は、いがみ合いながらも数々の試練を一つ一つ切り抜け、最後の公演までツアーを敢行する2人。 熱い友情と信頼関係を、お互い8週間の旅で築き上げるまでの実録ロードムービーです。

 

題名は、アフリカ系アメリカ人旅行者のために書かれた、ガイドブック「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」にちなんで付けられました。

 

本作は第91回アカデミー賞で、作品賞・助演男優賞・脚本賞の三部門を受賞。 さらに、主演男優賞と編集賞にもノミネートされました。

 

2018年のトロント国際映画祭で世界初上映されたあと、全米25館で限定公開され32万ドル以上を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場で22位となりました。

また、アメリカの映画サイト「Rotten Tomatoes」では、映画批評家から79%もの支持評価を受けた注目の作品です。

 

引用元:YouTube公式より / 公式「グリーンブック」

 

引用元:YouTube公式より / 「グリーンブック」スペシャル映像

 

見どころ&おすすめ

 

アカデミー賞のノミネートと三部門を獲得した実績が、先ずは注目です。

 

主人公トニー・ヴァレロンガを父に持つ、本作の脚本家のひとりニック・ヴァレロンガが父親から聞いた話と主役2人のインタビュー、そしてヴァレロンガの妻に宛てた手紙に基づいて製作された実話だというところがポイント。

 

タイプのまったく違う2人が、差別の色濃い南部へのコンサートツアーに挑む道中で、友情と信頼関係が芽生えていく過程を上手に描いたところが最大の見どころです。

コメディ映画の名手ピーター・ファレリー監督が手がけたのも納得。

 

実話を題材にした物語に興味がある方、感動する作品が好きな方に、おすすめします。

ピアノの演奏シーンが何度も出てきますが、音楽に興味がない方でも大丈夫。

とにかく映画が大好きな方におすすめしたい。

 

人種差別を取り上げたヒューマンドラマの中に、センスの良いコメディ部分が織り込まれた傑作を、ぜひ多くの方に観てもらいたいです。

 

おすすめ度

 

★★★★☆             4点

 

主要キャスト・スタッフ

 

フランク・アンソニー・ヴァレロンガ:トニー・リップ (ヴィゴ・モーテンセン)
ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリー:ドン・シャーリー (マハーシャラ・アリ)
ドロレス・ヴァレロンガ (リンダ・カーデリーニ)
 

 

監   督 ピーター・ファレリー
脚   本 ニック・ヴァレロンガ
  ブライアン・ヘインズ・カリー
ピーター・ファレリー
製   作 ジム・バーク
  ニック・ヴァレロンガ
  ブライアン・ヘインズ・カリー
  ピーター・ファレリー
  クワミ・L・パーカー
  チャールズ・B・ウェスラー
製作総指揮 ジェフ・スコール
  ジョナサン・キング
  オクタヴィア・スペンサー
  クワミ・L・パーカー
  ジョン・スロス
  スティーヴン・ファーネス
   
 

 

2018年 公開   130分   カナダ・アメリカ

 

2019年 公開   130分   日  本

 

実際の登場人物

 

ここで、実際はどんな主人公たちだったのかを探ります。

 

フランク・アンソニー・ヴァレロンガ(トニー・リップ)


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

1930年7月30日、ペンシルベニア州ビーバーフォールズで、イタリア系の両親のもとに生まれました。 幼少期に、一家でニューヨーク市ブロンクス区に移住。

 

子どもの頃から口が達者だった彼は「リップ」というあだ名を、友人たちからつけられました。 そして、ミドルネームの「アンソニー」の略称である「トニー」を足して、「トニー・リップ」という通称で知られておりました。

 

成人したフランクは、アメリカ陸軍に所属し、ドイツに駐留しています。

1961年から、ニューヨークの世界的に有名な「コパカバーナナイトクラブ」で、警備員や用心棒をしていました。 腕っぷしやハッタリが凄かったそうです。

 

1962年、ピアニストのドン・シャーリーに雇われ、運転手兼ボディーガードとして働きました。 ここが映画「グリーンブック」で取り上げられている部分です。

 

勤め先のナイトクラブで、映画監督フランシス・フォード・コッポラと出会い、これがきっかけとなり映画「ゴッドファーザー」に出演することになります。 その後、俳優として色んな映画に出演し、作家としても活動しました。

 

私生活では、妻ドロレスと1999年に彼女が亡くなるまで連れ添い、息子には俳優・脚本家であるニック、そして同じく俳優のフランクjrがいます。 

2013年1月4日、ニュージャージー州ティーネックで亡くなります、82歳でした。

余談ですが、息子のフランクjrは、2022年11月下旬に残念ながら60歳でこの世を去ってしまいました。

 

ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリー(ドン・シャーリー)


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

1927年1月29日に、フロリダのペンサーコラでジャマイカ系移民の両親から誕生します。 母親は教員、父親はアメリカ合衆国監督教会の司祭でした。

 

2歳の頃からピアノをはじめ、9歳でレニングラード音楽院に入学し、1953年には音楽で学士号を得てさらに、2つの博士号を持っていたそうです。

音楽、心理学、典礼芸術の資格を持っていたので、ドクター・シャーリーとの名でも呼ばれていたそうです。

 

また、ドン・シャーリーという名は、ステージネームとして使用していました。

 

18歳の時に、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏し、その1年後には自身の作曲した曲をロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と共演して演奏しました。             

 

順風満帆の音楽人生を歩んでいましたが、黒人のクラシック音楽家には機会を与えられないことに落胆し、諦めてしまいます。 その後、1960年代にかけてクラシック音楽の影響を受けたジャズ音楽を演奏し、成功していきます。

 

また、その頃シャーリーは、たびたびコンサートツアーに出かけます。 行き先に南部が含まれていたのは、観客の心が動くだろうと信じていたからです。

そして、本作「グリーンブック」の題材になった旅に出ます。

 

シャーリーは1952年に、ジーン・C・ヒルと結婚をしますが、のちに離婚をしその後の人生を独身で過ごしました。

2013年4月6日、心臓病により86歳でこの世を去ります。

 

いかがだったでしょうか。 2人の生涯をかいつまんでみました。

2人とも亡くなった年が同じ2013年。 なんだか縁を感じますし、本当に仲が良かったんだなと思います。

 

簡単な、あらすじ

 

引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

ニューヨークの一流ナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を務めるトニー・リップは、粗野(そや)で無学だったが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲から頼りにされる存在だった。

 

ある日、トニーの店が改装工事に入るため、彼はその間の仕事を探していた。

 

そんな時に、インテリの天才黒人ピアニスであるドン・シャーリーの運転手兼ボディーガードの仕事の話が舞い込んでくる。 ドンが面接をすると、トニーの肉体的強さと物おじしない性格を見込んで、彼を雇うことにする。

 

トニーは、家族や親せきが多いため、クリスマス・イブまでには自宅に帰るという約束のもと、アメリカ中西部と最南部を回る8週間のコンサートツアーに出かけることになる。

 

ドンのレコード会社の担当者から、アフリカ系アメリカ人の旅行者がモーテルやレストランなどを見つけるためのガイドブック「グリーンブック」がトニーに手渡される。

そして、そのガイドブックを頼りに黒人差別の色濃い世界へと出発するのだ。

 

道中、それぞれの流儀にこだわり互いに反発しあう2人だったが、しだいに相手を理解し合うようになっていく。

 

だが彼らは、ツアーの道中で思いがけない出来事に直面することになってしまう・・・

 

「グリーンブック」の用語説明

 

グリーンブック


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

アメリカ合衆国が、人種隔離政策時代の1930年代から1960年代に自動車で旅行をするアフリカ系アメリカ人を対象として発行された、旅行ガイドブックです。

 

「グリーンブック」は、ニューヨーク市の郵便配達人であったヴィクター・H・グリーンによって、米国で創刊され、ジム・クロウ法下にあった1936年から1966年まで、毎年改訂発行されました。

 

書名は創刊者の名前に由来します。 「グリーンによる黒人ドライバーのためのガイドブック」だが、通常は単にGreen Book(グリーン ブック)と呼ばれます。

 

当時黒人は、公共輸送機関から隔離されていたこともあり、多くの黒人が自動車を頼みの綱としていました。 黒人が利用できる宿、店、給油所そして「サンダウン・タウン」などの情報がまとめられており、彼らが差別や暴力を避け、クルマで移動するためには欠かせないガイドブックだったのです。

 

ジム・クロウ法

1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称です。 主に「黒人の一般公共施設の利用禁止や制限をした法律」をいいます。

 

対象になる人種は、アフリカ系黒人だけではなく、黒人の血が混じっているものは全て黒人とみなされました。 また、黒人との混血者だけではなく、インディアン(先住民)、日系人などアジア系の黄色人種も含まれます。 よってヨーロッパ系の白人以外、すなわち非白人系の有色人種が対象。

 

この法律の名前は、白人が黒人に扮して歌うコメディ「ジャンプ・ジム・クロウ」という曲が1828年にヒットしたことに由来します。

1837年まで「ジム・クロウ」は、黒人隔離を指す言葉としても使われていました。

 

具体例として、バス(停留所も含む)、電車などは人種ごとに席が分けられます。

白人と有色人種が同じ部屋で食事できるレストランは違法。 白人女性の看護師がいる病院には、黒人男性は患者として入れない。 白人と黒人は一緒に居住してはならない。 白人と黒人の結婚は禁止で、4世代前まで黒人の血がひとりでも含まれれば、黒人として扱われるなど、かなり過激な法律です。

 

サンダウン・タウン

黒人は日没前までに「該当する町から立ち去らなければならない」と定められた町の総称です。 サンセット・タウンやグレイ・タウンとの別名もあります。

物理的暴力や有色人種お断りなど、強制排除を行なう町をいいました。

 

一部の南部では「この町は白人だけが住む町である。 黒人は日没前にこの町を出て行け」と宣言した土地がありました。 夜になると黒人を撃ち殺したり、木に吊るされたりする恐れがあるそうで、なんとも恐ろしい所です。

 

代表的なのはアラバマ州やジョージア州で、1960年代までは黒人の旅行者には門戸を閉じたエリアでした。

 

「グリーンブック」を考察

 

ここで、本作の秘密をさらに探っていきましょう。

 

トニーとドンの中西部&デープサウスのツアー

ここで、2人がコンサートツアーで巡る目的地を紹介します。

 

 ニューヨークを出発

① ペンシルベニア州 ピッツバーグ

② インディアナ州 ハノーヴァー

③ アイオワ州 シーダー・ラビッズ

④ ケンタッキー州 ルイビル

⑤ ノースカロライナ州 ローリー

⑥ ジョージア州 メイコン

⑦ テネシー州 メンフィス

⑧ アーカンソー州 リトルロック

⑨ ルイジアナ州 バトンルージュ

⑩ ミシシッピー州 テューペロ

⑪ ミシシッピー州 ジャクソン

⑫ アラバマ州 バーミングハム

 ニューヨークに戻る

 

実際のツアー期間は、8週間ではなかった!?

映画の中では、ドンとトニーの8週間ぶっ続けのツアーが描かれております。

しかし実際、2人がツアーを回っていた期間は1年以上だったそうです。

 

いくら違う性格の2人でも、これだけの期間を一緒にいれば、仲良くなるのも

納得しますね。

 

実際のドン・シャーリーは、ジャズピアニストだった?

伝統的なクラシック音楽を弾いていた小さいころの彼は、クラシック・ピアノの有望株と謳(うた)われていました。 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し自身が作曲した曲を演奏したり、カーネギーホールでNBC交響楽団と共演までしました。

 

しかし、黒人のクラシック音楽家には、なかなか機会が与えられないことを知り、彼は一時期ピアノの道を諦めてしまいます。

本作の中で理由が語られていました。 白人の観客は、黒人のピアニストがクラシックを弾くコンサートを観たくなかったからです。

 

コンサートではクラシックを演奏しましたが、実際はナイトクラブでジャズを演奏することの方が多かったようです。

 

しかしながら、彼はうるさくて品のないナイトクラブで演奏することは嫌いでした。 そして、ナイトクラブのジャズピアニストたちは、演奏中にもかかわらずタバコを吸ったり、お酒の入ったグラスをピアノの上に置いたりと、音楽へのリスペクトが感じられないことにも大いに不満だったのです。

 

実際のトニー・リップは差別主義者だった

物語の中で、トニーが黒人男性の使ったグラスを捨てるシーンがあります。

他にも彼が人種差別の思想の持ち主だったことを示す描写がでてきます。

これについてトニーの実の息子ニック・ヴァレロンガは「本当に父親は差別主義者だった」と話しています。

 

しかし、旅を通してドンと打ち解け合うことでトニーは、すっかり考えが変わります。 息子たちにも、人は皆同じだと伝えるまでになりました。

 

ドン・シャーリーの秘密


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

ドンがYMCA(キリスト教青年会)のプールで他の白人男性と出会ったところを警察にとがめられてしまいました。 ここで彼が、同性愛者であることが分かります。

しかし彼は、一度結婚をしております。 ただその結婚は、破綻してしまいますが。

 

ちなみに、YMCAの宿泊施設は相部屋が多く、そのうちに「YMCA」は同性愛者の隠語となっていたそうです。 YMCAは、同性愛者の間では出会いの場として知られていたようです。

 

次に、ドンはなんとニューヨークのカーネギーホールの上に住んでいました。

彼はその場所に、亡くなる86歳まで住んでいたそうです。

マンハッタンはミッドタウンのランドマーク的存在で、音楽の殿堂となるコンサートホールに住んでいたとは!

 

最後に、トニーがクルマを運転しながらフライドチキンをドンにすすめますが、彼は「食べたことがない」と言い、トニーは驚きます。

 

もともとフライドチキンは、南部の黒人奴隷たちのソウルフードでした。 安くて栄養価が高く、満足感を得られるフライドチキンは、肉体労働が主な仕事だった黒人奴隷たちが食べるものだったのです。

 

上品で教養のあるドンは、黒人でありながら黒人文化とは無縁の環境だったため、フライドチキンを知らなかったのです。

 

彼の私生活は謎に包まれております。


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

関係ないけど、フライドチキンのトリビア

アメリカ合衆国南部の黒人奴隷のソウルフードであることは、先ほどお話ししました。

 

さらに突っ込んで。

 

スコットランドでは、揚げる調理方法が一般的でした。 アメリカ南部に移民したスコットランド移民の鶏肉料理が、黒人の使用人に伝わり、現在の調味料や香辛料を使ってアメリカ風の鶏肉料理、フライドチキンへと形づくられたといわれています。

 

ちなみに、和食や中華料理とは対照的に、ヨーロッパの料理では一般的に昔から揚げ物は、労働階級や所得の低い者たちの食事とみなされてきました。

 

鶏肉の胸肉は白人に差し出され、残った骨の多い部位を料理にする調理法であるフライドチキンは、黒人だけが食べるソウルフードとなりました。 彼らは、白人の邸宅の台所で調理を任されていた背景から、やがて白人の食卓にも上がるようになり、フライドチキンは南部の白人食文化にも影響をあたえる料理へと変化していったようです。

 

あ~、

KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)が食べたくなってまいりましたぁ~


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

ドン・シャーリーとケネディ兄弟

シャーリーは、当時の大統領ジョン・F・ケネディ(JFK)、そしてロバート・ケネディ兄弟とは親しい間柄でした。 シャーリーは、ホワイトハウスで何度かピアノを演奏し、家族ぐるみで交流があったようです。

 

旅の途中、事実と大きく違うスピード違反によって、拘束されてしまうトニー。

黒人であるシャーリーは、警察署に入ることさえ許されず、困り果てて当時の司法長官ロバート・ケネディへ電話をかけるシーンがあります。 黒人がらみというだけで、事実を大きくゆがめられてしまう現実がありました。

 

どんな差別にも毅然と対応をするシャーリーにとっては、この権力の力に頼った解決方法は、どれほど悔しかった事でしょうか。

 

この出来事は、兄のジョン・F・ケネディ暗殺の2日前のことでした。

そしてシャーリーは、ピッツバーグでJFKの訃報をテレビで知るのです。

また、2人の窮地を救った弟ロバーも、後に暗殺されてしまいます。

 

称賛と酷評

本作は、批評家たちから賞賛され、79%もの支持を受けました。 また2人の俳優のパフォーマンスも大いに賞賛されました。

 

しかし、本作とアカデミー賞作品賞を争った「ブラック・クランズマン」の監督や、「ブラックパンサー」の出演者から不満をあらわにされてしまいます。 さらにメディアでも批判を主張する人が相次いだそうです。

 

これら批判の背景には、作品の中身において、歴史的な描写の不正確さと、白人が非白人の人々を窮地(きゅうち)から救う典型的な「白人の救世主」の誇張された描写だったことが上げられます。 そして、シャーリーの遺族からも、抗議を受けていたとか。

 

日本人の私には、賞賛しかありません、けど。

実話を元に叙述した作品なので、難しい問題なのですね。

 

小ネタあれこれ


引用元:ロード・オブ・ザ・リング / © 2002 New Line Home Entertainment, INC. All Rights Reserved.

 

本作でフランク・アンソニー・ヴァレロンガ(トニー・リップ)の実の息子たちが活躍しておりました。 脚本・製作でニック・ヴァレロンガが、トニー・リップの親戚役ルディをフランク・ヴァレロンガjrが演じております。

 

ところでみなさん、「ロード・オブ・ザ・リング」のアラゴルンを憶えていますか? あの指輪の仲間のひとりで、人間代表として3部作に出演していました。

ワイルドでカッコいいキャラクターが、多くのファンを魅了しましたネ。

 

もちろん、演じたときの年齢は違いますが、あの役者さんが今回のトニー・リップ役を演じています! その役者さんの名は、ヴィゴ・モーテンセン。

 

ヴィゴは今回の役作りのため、約14キロも体重を増やしました。

そして物語の中では、ホットドック大食い競争やフライドチキンを食べるシーンなど、とにかく食べるシーンが多くあったため、体調を整えるのに苦労したそうです。

 

撮影中も体形を維持するため、ずっと食べ続けていたとは、これぞプロ根性です!


引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

感  想

 

引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

1962年当時は、まだ人種差別が残ってる時代なのだと驚きました。 しかも南部はその傾向が強いとか。

 

そんな状況下で、わざわざディープな南部をツアーで回るのだから、けっこう重々しい話になるだろうと予想して本作を観ました。

 

扱う内容が人種差別なので少々重たいのですが、予想に反してあっさり目に物語が進行していくのは意外でしたね。 決して軽くあつかわず、しかも適度な笑いの要素を加えながら、非常にうまいバランスで物語が進んでいくセンスの良さが印象的な作品です。

 

どうみても合わなそうな真逆の2人のキャラクター。

ガサツで差別主義者な白人トニーが、インテリな黒人ドンの才能と個性を認め、しだいにお互いのありのままの生き方を認め合う。

 

そんなお互いを理解していく過程が、とても自然で引き込まれます。 ここが、この作品の大きな魅力的要素だと個人的には思います。 

 

しかし、ヴィゴ・モーテンセンの役のふり幅が物凄い。 演じた年齢は違いますが、アラゴルンの面影など全く感じさせない変貌ぶりに、改めて一流の役者さんの凄さを実感しました。 そんなトニーの愛嬌タップリのキャラクターと、その見事な食いっぷりに注目です。

 

個人的に思ったことは、広いアメリカ最南部を巡るロードムービーなのに、季節は変われど、その土地土地の雰囲気がどこも同じように感じられたことです。

もう少し、その土地ならではの雰囲気が感じられればより良かったな、と思いました。

 

印象的だったのが、ケンタッキー・フライド・チキンって、この時代に生まれたものなのですね。

 

8週間のツアーを無事に終え、雪の中クリスマスに間に合うように帰宅する2人。

ドンは、広い家の中でひとり。 一方のトニーは、家族や親せきがクリスマスパーティーを開いている自宅で大勢に迎えられます。

 

ここでは、2人の対比が出る場面です。 ドンの気持ちを思うと寂しくなっちゃいます。 だけど、シャンパンを持ったドンを、トニー家が最初は戸惑うも歓迎する場面は、心が温かい気持ちになります。 さらにドロレスの耳元での一言。 できた嫁だぁー。

 

差別や偏見って、周りの環境や教育、親の考え方や友人の影響など様々なところから、無意識のうちに刷り込まれてしまうことが多いと思います。

 

きちんと向き合えば、トニーとドンのように、お互いを理解し合える、相手を想う気持ちを持つことができる、と教えてくれる崇高(すうこう)で素敵な作品でした。

この映画は、ただの人種差別反対映画ではないことが分かると思います。

 

観終えると、自分の心に温かい火が灯るのを感じます。

 

ぜひ、笑いと涙の感動作品を観て下さい。 きっとあなたの心にも火が灯りますよ。

 

引用元:グリーンブック / © 2019 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

 

 

 

あらすじは、別サイトです。

 

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