ジャンルを問わず一年中、映画漬けの生活を送っている、自称ゆるーい映画オタク⁉の私が
独断と偏見でオススメする今日の一本は、恋愛映画「ジュリエットからの手紙」です。

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
作品紹介
「ロミオとジュリエット」の舞台イタリア・ヴェローナには、ジュリエットの生家があり、今でも世界中からジュリエット宛の手紙が届く。 そんな中、ある1通の「ジュリエット・レター」から、50年前の初恋を探す旅がはじまる。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された、美しいヴェローナの街を舞台にした2つの恋の物語で、2010年にアメリカ合衆国で公開されました。
監督は、「シャーロットのおくりもの」でメガホンをとったゲイリー・ウィニックがつとめましたが、2011年に脳腫瘍により49歳で亡くなってしまいます。
本作「ジュリエットからの手紙」が彼の遺作となってしまいました。
そして、「マンマ・ミーヤ!」で楽曲を吹き替えなしで歌い、「Mank/マンク」でアカデミー賞助演女優賞およびゴールデングローブ賞助演女優賞にノミネートされたアマンダ・セイフライドが、主人公のソフィーを演じます。
さらに、カンヌ国際映画祭女優賞、アカデミー賞助演女優賞、そしてゴールデングローブ賞助演女優賞など多数の賞を受賞したイギリス出身の大女優ヴァネッサ・レッドグレイヴが共演しております。
引用元:YouTube公式より / 「ジュリエットからの手紙」 予告編
引用元:YouTube公式より / Letter to Juliet (2010) Official Trailer
見どころ&おすすめ
先ずは何といっても、イタリアの世界遺産ヴェローナの美しく魅力的な街並みや、トスカーナ地方のこちらも世界遺産の美しき古都シエナなど、イタリアの風景が見どころ。 このロケーションの温もりのある美しさは貴重です。
絵のように美しいぶどう畑の広がる田舎の風景、雰囲気の良いレストラン、居心地の良さそうなホテル、そしてワインに美味しそうな食べ物など、イタリアの魅力が全面に伝わって来るところが注目ポイント。
そして、映画のキャスティングも見どころのひとつ。
主人公ソフィーのアマンダ・セイフライドは、この役を自然体で演じて、はまり役ですし、チャーリー役のクリストファー・イーガン(オーストラリア出身だけど)は英国紳士的な雰囲気を表現した演技で魅せます。
それと、何といってもクレアを演じたヴァネッサ・レッドグレイヴの美しさと存在感の大きさが、この作品を素晴らしいものに仕上げております。
出演者たちの演技に注目です。
この作品を通して、愛に遅すぎることはない、人生はいつでも変えられると、教えてくれるロマンチックで素晴らしい内容も見どころのひとつです。
イタリアに触れたい方、永遠の愛を描いた作品に触れたい方、そして心を癒したいあなたにおすすめしたい、女性必見の感動作品です。
さあー、イタリアの風を感じに行きましょう♬
おすすめ度
★★★★☆ 4点
主要キャスト・スタッフ
| ソフィー・ホール (アマンダ・セイフライド) |
| チャーリー・ワイマン (クリストファー・イーガン) |
| クレア・スミス:ワイマン (ヴァネッサ・レッドグレイヴ) |
| ロレンツォ・バルトリーニ (フランコ・ネロ) |
| ヴィクター (ガエル・ガルシア・ベルナル) |
| イザベラ (ルイーザ・ラニエリ) |
| 編集長ボビー (オリヴァー・プラット) |
| 他 |
| 監 督 | ゲイリー・ウィニック |
| 脚 本 | ティム・サリヴァン |
| ホセ・リベーラ | |
| 製 作 | エレン・バーキン |
| マーク・カントン | |
| キャロライン・カプラン | |
| 製作総指揮 | ロン・シュミット |
| 他 |
2010年 公開 105分 アメリカ
2011年 公開 105分 日 本
簡単な、あらすじ

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
ソフィー・ホールは、「ニューヨーカー」誌の調査員として働き、ライターになることを夢見ていた。 そんな彼女は、イタリアン・レストランのオープンを控え婚約者ヴィクターとイタリア・ヴェローナへ婚前旅行に行くことに。
イタリア観光を楽しみたいソフィーだったが、ヴィクターはレストランの食材業者探しに夢中となり、せっかくの旅行は別行動となってしまう
翌日、さっそくソフィーは1人でヴェローナ観光に出かけ、シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台となったジュリエットの家を訪れる。
ひょんなことから、「ジュリエットの秘書」と呼ばれる手紙に返事を書く女性たちと親しくなったソフィーは、彼女たちの手伝いをすることになる。
すると、50年前に書かれた手紙をソフィーは偶然見つける。
その手紙は、クレア・スミスというイギリス人女性が書いた手紙で、恋人ロレンツォとの恋の苦悩、駆け落ち、そして苦悩の末の別れが綴(つづ)られていた。
胸をうたれたソフィーは、その手紙の返事を書かせてもらうことに。
ソフィーからの手紙を受け取ったクレアは、過去の出来事にけじめをつけるため、孫のチャーリー・ワイマンと共にイタリアへとやってくる。
50年前に始まった物語の結末を見届けるため、クレア、チャーリー、そしてソフィーの3人は、叶わなかった恋の相手ロレンツォ・バルトリーニを探す旅に出る。

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
「ジュリエットからの手紙」の魅力を紹介
ここで本作の魅力を深掘りしていきましょう。
「もしあの時」
ジュリエットの秘書としてソフィーが、クレアに宛てた手紙の内容がとてもステキでした。
その内容とは・・
親愛なるクレア
”もし” と ”あの時” は
それぞれ普通の言葉にすぎません
でも、その2つを合わせると
あなたを一生苦しめる力を持つのです
”もしあの時、、”
物語の結末はわかりません
でも、かつて真実を感じた愛ならば、遅すぎることはありません
かつて真実なら、今も真実のはず・・
少しの勇気を持ち、あなたの心に従って
ジュリエットの愛を、どう例えればいいのか・・
親しい者を捨て去る愛
荒海をも超える愛
私もいつか、そのような愛を感じたら
つかみ取る勇気を持ちたい
クレア、あの時は無理でも、いつか勇気を持てると信じます
愛をこめて、ジュリエットより
なんて心に響く文面なのでしょう。 ジーンと心に沁(し)みます。
ジュリエットの秘書

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
本作の舞台となったイタリア・ヴェローナでは、実際にジュリエット宛てに届く恋愛相談の手紙に対して、ヴェローナ市のボランティアの女性たちが運営する「ジュリエット・クラブ」の「ジュリエットの秘書」たちが、それぞれの手紙に返事を書いているそうです。
世界各国から年間5000通も届くその手紙は、言語もさまざまですが、英語、フランス語、ドイツ語などの主要言語に対応して返信しています。 ちなみに、日本語の手紙には日本語で対応するそうです。
この映画の影響でアメリカ公開時には、ジュリエット宛の手紙が従来の8倍に急増し40000通を記録。 そのため「ジュリエットの秘書」を増員して対応しているようです。
ヴァネッサとフランコ

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
ヴァネッサ・レッドグレイヴとフランコ・ネロはプライベートでも長年のパートナーです。
1967年、「キャメロット」の撮影でフランコ・ネロと出会い、1969年には2人の間に息子カルロ・ガブリエル・ネロが生まれます。
そして、2006年に2人は正式に結婚をします。 ヴァネッサ・レッドグレイヴ69歳、フランコ・ネロ66歳の時でした。
2人は数々の作品で共演しておりますが、実際の結婚相手と、スクリーンのなかでも恋ができるって、なんて素晴らしいことでしょう。
感 想

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
「もしあの時・・」って思うこと、生きてきた人生の中で時々ありますよね。
そんな時、「まだ遅くないよ」、「勇気を出して」と言ってくれる人がいたら、どんなにありがたいことか。
本作を観て、誰しもが経験したであろう、「もし~だったら?」” What if ? “ を改めて考えさせられました。 何かを始めるのに遅すぎることはない、と教えられました。
たまたま見つけた50年前の手紙に、主人公のソフィーが返事を書いたことから、物語が動き出す。 その手紙を受け取り、居ても立っても居られないもう1人の主人公クレア。
2人の恋する乙女たちがとてもキュートで可愛らしかった。
とくに、クレア役のヴァネッサは撮影当時73歳。 なんてきれいなおばあさん・・、いや失礼、なんて美しい女性なんだと、見とれてしまいます。
一方のソフィーは、恋に仕事に真っすぐな女性ですが、「ジュリエットの秘書」に出会ったことで、今までと違う方向の人生に進む展開に。
思った通りに展開していくストーリーですが、ふたりの女性のふたつの人生が交差する二重構造の恋愛物語が、とても新鮮で魅力的。 そこに美しいイタリアの田舎町の風景が重なり、個人的には大変印象に残った大好きな作品です。
昨今のCGありきの映画界にあって、この温もりあるロケーションは貴重だし、観ていて温かく幸せな気持ちになれる、つまり多幸感が味わえる恋愛映画は大変貴重です。
それに、この映画を観て、イタリアの地方の絵のように美しい街並みや情熱的で人懐っこい人々に触れると、イタリアに行きたい気持ちがウズウズと湧きあがります。
また、物語の中で、クレアが探す50年前の恋の相手ロレンツォとは、実際に初共演で出会い、すでに恋に落ちていたヴァネッサとフランコが演じることで、演技により一層の深みが増します。 この洒落たキャスティングは最高でした。
個人的に大好きな女優さんのひとり、アマンダ・セイフライド。
今回の役の雰囲気にピッタリでした。 とにかくキュートでチャーミングな女性です。
観終わると、感動し、幸せな気持ちに包まれること間違いなし。
女性の方に、ぜひとも観てもらいたい作品だと感じました。
「愛は永遠なり」
チャオ ~ ♡

引用元:ジュリエットからの手紙 / © 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
舞台となった、ヴェローナの魅力
ここでは、ジュリエットの生家がある街を紹介します。
ヴェローナって、どんなところ?
イタリア共和国ヴェネト州西部にある都市で、周辺地域を含めると約26万人が暮らしております。 ヴェネト州に属する県で、ヴェローナが県都となります。
街の中心部には、古代ローマ時代の円形闘技場跡があり、街の象徴となっているほか、中世の町並みが残っております。
また、2000年には「ヴェローナ市街」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
名 称
Veronaは、日本語文献ではヴェローナのほか、ベローナやヴェロナなどとも表記されます。
ヴェロナの気候は?
温暖湿潤気候に区分され、降水量が多い季節は春から秋にかけてですが、真夏の7月は日照が多く降水量は少なめです。 イタリアの中では夏場は涼しい気候ですが、乾燥した暑さが続き、30℃を超える日も多いようです。
しかし、昨今の温暖化によって、日本と同様に夏場の気温は上昇していることでしょうね。
ちなみに、冬は氷点下まで冷え込む日が多く、日照時間も少ないため比較的寒冷のようです。
観 光
エルベ広場やシニョーリ広場を中心とする旧市街地一帯は、「ヴェローナ市街」として世界遺産に登録され、中世の町並みには、代表格である「ヴェローナ円形闘技場」などのローマ遺跡が残っており、この円形闘技場では毎年7月〜9月にかけて野外オペラが上演されているそうです。
また、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台であり、舞台や映画で有名なバルコニーは観光名所で、ここを「ジュリエットの家」と呼ばれ、館内には当時の家具や日用品が展示されています。 前庭にはジュリエット像があります。
歴 史
先史時代の末期にはすでに集落が作られていたそうで、紀元前1世紀ごろには共和政ローマの支配下にあり、紀元前3世紀には共和政ローマと同盟関係を築きました。
そして5世紀には、東ローマ帝国のかわりに蛮族(未開の民族)が支配者となりました。
ローマ帝国の軍人であるオドアケルが、ヴェローナをローマ式の統治を行い社会は安定するも、西暦489年に東ローマ帝国の政治家テオドリックとの戦い(ヴェローナの戦い)で敗れます。
ヴェローナは事実上の都の様相を見せ、568年にランゴバルト族がヴェローナに進攻しましたが、774年には初代神聖ローマ皇帝シャルルマーニュによって、ランゴバルト族最後の王デジデリウスは敗れて、ランゴバルト王国は滅びてしまいます。
シャルルマーニュの息子ピピンはヴェローナを発展させ、記念にサン・ゼノ聖堂が建てられます。
その後ヴェローナは、バイエルン辺境伯、そしてケルンテン辺境伯の領地となり、950年にはヴェローナ辺境伯領が設けられました。
961年、ドイツとイタリアが1つの王冠のもとに結ばれるとヴェローナは、ドイツ人の王が滞在する唯一のイタリア都市となります。 そして、イタリア統治のための議会や協定の数々がヴェローナで行なわれました。
1117年、ヴェローナ近郊を震源とするM6.9の地震で、ロマネスク様式以前の建築物はほぼ全てダメージを受け、約3万人が死亡します。
1136年、ヴェローナは自治体の最小単位の組織である基礎自治体となりました。 そして少数の団体に握られた寡頭(かとう)制を取り、幾つかの有力な貴族によって統治されます。 ヴェローナの支配者は色々と変わっていき、支配層の間には憎しみを帯びた熾烈な闘争がありました。
その模様は、シェイクスピアの戯曲の中にも描かれています。
1405年には、ヴェネツィア共和国の支配下に入り、ルネサンス期のヴェローナは商業や文化の中心として発展していきます。 その後、1797年のヴェネツィア共和国の終焉まで支配は続きました。
ナポレオン・ボナパルトがイタリアに進攻し、ヴェネツィア共和国が滅びると、ヴェローナはフランスの支配下におかれ、1797年よりオーストリア領となります。
1866年、イタリア王国領となり現在に至ります。
引用元:YouTube公式より / Verona, Italy Walking Tour 4K
舞台となった、シエナの魅力
ここでは、50年前の恋人ロレンツォを探す街を紹介します。
シエナって、どんなところ?
イタリア共和国トスカーナ州中部にある都市であり、人口約5.3万人が暮らす基礎自治体(コムーネ)で、シエナ県の県都となります。
中世の姿をとどめる旧市街地は、1995年に「シエナ歴史地区」として世界遺産に登録されています。
赤褐色のレンガで造られた建築物の町並みが特徴で、シエナ色の名の由来となっています。
中世には金融業で栄えた都市国家で、13世紀〜14世紀にかけて最盛期を迎え、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつでした。
名 称
Sienaは、日本語文献ではシエーナのほか、シエナとも表記されます。
観 光
市街はカンポ広場を中心に、チッタ通り、バンキ・ディ・ソプラ通り、バンキ・ディ・ソットの3つの通りが丘の尾根を放射状に外へと向かって伸びており、これらが街の基本骨格となっております。
ここで主な観光スポットを紹介します。
先ずは、世界で最も美しい広場と言われ、シエーナ住民の憩いの場となっている、扇形に広がるカンポ広場。
カンポ広場の一角に建つプブリコ宮殿は、13世紀末〜14世紀初頭に建てられたゴシック建築の建物で、プブリコ宮殿の左にはシエナのランドマークともいえる高さ102mのマンジャ塔がそびえています。
また、シエナ歴史地区の中心的建築物であるシエナ大聖堂は、世界一の大聖堂を目指して建築されましたが、黒死病(ペスト)の流行で資金難となり未完のままで終わってしまっていますが、大理石とモザイクで装飾された西正面のデザインは、イタリアで最も美しいと言われております。
そして、パリオと呼ばれる騎士たちが裸馬にまたがりカンポ広場を周回する競馬レースは圧巻です。 毎年2回行われ、約4万人を動員するほどの盛り上がりをみせているそうです。
歴 史
独自のエトルリア文明を築いたエトルリア人の居住地が起源とされておりますが、古代のシエナの詳細は分かっておりません。 ローマ時代には主要な街道から外れており、キリスト教が伝わったのも4世紀頃でした。
シエナが歴史上、重要な都市として姿を現したのは、中世期以降となります。
6世紀半ごろ、ゲルマン系部族であるランゴバルド人は、北イタリアにランゴバルド王国を建国します。 ローマ時代の主要な幹線道路は東ローマ帝国の勢力下にあったため、ランゴバルド人は北方とローマを結ぶ交易路としてシエナを経由する道を活用しました。
ローマへ往来する巡礼者たちが多くいたことで、シエナには安定した収入がもたらされ、シエナは貿易の拠点として繁栄していきます。
774年、シエーナの貴族は初代神聖ローマ皇帝シャルルマーニュに降伏し、フランク王国の領域に入ります。
1115年、北イタリアの大領主であった女性の伯爵マティルデ・ディ・カノッサが後継者なく没すると、その領域は細分化され都市国家群が生まれました。
シエナは、金融の一大センター、そして羊毛取引の重要な拠点として成長していきます。
1167年、シエナの自治組織(コムーネ)は司教による統治から独立を宣言し、1179年に憲章が制定され、「シエナ共和国」が誕生し発展していきました。
シエナ共和国は、内に貴族と市民との対立を抱えながら、外では最大のライバルであるフィレンツェとの抗争を繰り広げます。
1260年のモンタペルティの戦いで、シエナはフィレンツェに大勝するも、1269年のコッレ・ヴァル・デルサの戦いでは大敗を喫してしまいます。 この敗戦を契機にシエナは、フィレンツェとの関係が改善されます。
1348年の黒死病(ペスト)の流行により、シエナは大きな被害を受けてしまいます。 そして14世紀後半以降は、貴族と市民との内部抗争が激化し、政変が繰り返されました。
1487年、貴族党派のパンドルフォ・ペトルッチが政権を掌握し、芸術と科学を発展させながら、1512年に彼が没するまでシエナを上手く治めました。 パンドルフォの死後、ペトルッチ家の内紛により政情が安定しなかったことにより、皇帝カール5世はスペイン軍団にシエナを占領させ、シエナ共和国は終焉を迎えます。
1559年、スペインはシエナをフィレンツェ公国(のちのトスカーナ大公国)に譲渡し、以降の20世紀のイタリア統一まで、シエナはトスカーナ大公国領となります。
引用元:YouTube公式より / Siena, Italy Walking Tour 4k